中川内科(医療法人 喬順会)
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今月の話題

新しい時代における心の羅針盤を求めて

 科学の隆盛に伴って、とくに19世紀の中ごろから、Scientism〈科学主義〉のイデオロギーが広く一般的な思想状況を支配するようになった。〈科学主義〉というのは、科学の進歩がそのまま人類の幸福を約束するという信仰のもとに、科学の対象である自然の物質・物体の局面こそが世界の真の姿である、と主張するイデオロギーである。
 〈科学主義イデオロギー〉に対する批判の核心は、「科学は、宇宙の基本的な事実〈真理〉を解明して、その説明を提供するかもしれないが、その〈真理〉を賢明に使う方法については、(人間に)何も教えてくれない」ということである。(cf.ケン・ウィルバー:科学と宗教の統合)

 〈自然学:自然科学〉の進歩によって人間社会が恩恵を受けることは、明らかである。しかし、いわゆる文明の利器を使いこなすことができるほどには、人間の心は十分成熟していない。そのことが、近年、急速に露呈しつつある。すなわち「自然・宇宙の研究」と「人間の学」が大いに隔絶しているということである。

 いつでも入浴可能な「自動温度調節付き浴槽」が普及している。これなども便利であるが、人間の心を安易な方向へ傾かせる。まだ、十数年前まで、風呂は薪で沸かされていた。節約のため、家族の各員は時間をおかないで次々と入浴することを父親から求められたものである。しかるに、〔生れたときから、このような〈文明の利器〉に囲まれている現代の若い世代の人間〕は、そのような過去の歴史を全く認識していない。

 このような時代の変化、社会構造の変化は、人間の生き方に大きな変化をもたらす。個々の人間はそれぞれの生い立ちと環境に応じて社会生活を営み、生存競争に勝ち抜いていかねばならない。表面的には、自家用車、パソコン、携帯電話、デジカメなどの利器と共存する生活に慣れていくのである。人間を取り巻く環境は急速に変わった。ある意味で幸せすぎる環境に置かれている。このような時代に、人はいかに教育されるべきか、模索状態にあると思われる。あまりに短期間の展開であるがゆえに、この新しい時代環境に適合した「新しい教育学」の方法論を検討する暇(いとま)もないのである。

 われわれの祖父の時代はもとより、明治、大正生まれの父の世代とは、社会生活はまったく異なる。われわれは、自分の生活を自分で開拓せねばならない。父には父の世代の生活の知恵や哲学があったはずである。携帯電話時代の〈われわれの世代〉と〈父の世代〉との間に、いわゆる「世代の断絶」が生じたのは当然のことである。生活の知恵を〈賢さ〉と考えると、その賢さはそれぞれの世代がみずから見出さねばならず、それはその時代限りのものであって、次の世代に伝わらない。その〈賢さ〉は普遍的なものではなく、その時代に限定して適用されるものにすぎないからである。すなわち、科学的な知識は、記録として残り、次世代に自然に伝えられる。一方、「善のイデア」は次世代に伝えるのが困難なものなのである。今、いろいろな犯罪とくに若年者の犯罪の発生を耳にするとき、その困難さを改めて認識する。

 大脳機能と心の関係が解明されつつある。これも、科学的進歩のひとつではある。人間の心理状態の変化に伴って脳内に生起している電気生理学的、生化学的事象が解明されつつある。しかし、まだまだ不完全であって、例えば、モーツアルトの音楽が多くの人に感動を与えるのに、凡庸な作曲家の曲にそのような力がないというその差が何に由来するのか、現在の大脳生理学によって十分説明できないはずである。当然ながら、大脳生理学の研究は、「善い人間を造るための教育法の開発」に直結するところまでには至っていない。

 科学時代、産業社会の進展と並行して、ヨーロッパにおいて啓蒙主義が思想界を支配し、キリスト教信仰に批判の目が向けられ、その非合理性の側面が強調された。そのため信仰生活による「人の心の育成」は衰退してきた。しかし、優れた科学者は自然の前に謙虚であり、宗教的に敬虔であったことが伝えられている。

 わが国における現状はどうであろうか。もともと〈大らかな宗教心〉しかもっていない日本人は、科学主義の影響のもと、その宗教心はさらに希薄となり、多くの人はその日常生活において宗教にかかわりなく生活しているように思われる。かかわるとすれば、神仏の御利益(ごりやく)を求める自己本位の願いである。このような時代に、自らの人格形成を、なにを頼りにして、ひとびとは行っているのであろうか。羅針盤のない航海のような状態で日々を過している人が多いというのは、云いすぎであろうか。あるいは、いろいろな方向性をもった羅針盤まがいのものがマスコミを通して流され、芯の通った倫理基準に欠けているという方が当っているのかもしれない。

 謙虚に自然現象に立ち向かう時、宇宙の背後にある大いなる存在の偉大さを感知して、人間は敬虔な態度をとることになる。科学は、被造物である人間の大脳の所産に過ぎない、と謙虚にうけとめるべきである。こう考えると、科学と宗教は両立し、互に補完的でなければならないことが分かってくる。しかし、わが国において戦後の教育は、宗教を軽視し、倫理教育にそれを生かすことを怠ってきた。今ここで、早急になんらかの優れた「心の羅針盤」を、若い世代に与えないと日本民族の美徳の伝統が衰弱してしまう、そのようなことをひそかに憂える毎日である。   (平成18年6月17日記)

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